感想記事は後ほどまとめようと思うのですが、この記事を書くタイミングは今しかないなと思ったので先行して出します。
あくまで一個人の雑感であることを前置きさせていただき、それでも構わない方はどうぞ。
私は私以外ではないので、私以外の方の考えについてとやかく言える立場にありません。
私個人の感想としては、この現象は納得感を持って受け止めました。
花譜さんはパンフレットでの質問に対して『生涯現役!』と掲げていらっしゃいますし、色々と考えた結果として廻花さんが生まれたのだと思います。
また、VALISさんというある種の伏線があったこと、バーチャルヒューマンという2次元の枠組みの中での詳細化があったことで、私自身はこの現象について受け止めることが叶いました。
個人的には、第一印象としてはバーチャルヒューマンのほうが抵抗感がありました。αUでの展示を見て、少し足早になった自分を覚えています。
幸いなことに、界隈外で色々と触れていくうちにバーチャルヒューマンへの抵抗感が薄まり、結果として本現象への抵抗感が薄かったという流れです。
なので、他人のことは言えませんね。
バーチャル存在の永続性
話はズレますが、VTuberやVSingerなどのいわゆるバーチャル存在が出てきたとき、私は「ついに永続的な人間が現れた!」と期待していました。姿は老いることはなく、たとえ中にいる人が老いさらばえても別の人が受け継ぐことで、その存在が永続すると信じていました。
しかし、蓋をあけると全然違いました。中の人が変わればバーチャル存在は別物になります。今や役に徹するより、自分の地を活かして活動されている方のほうが多いと思っています。そうなればなおさらでしょう。
私は昔、少なからず推していたVSingerさんのオリジンが変わったことがありました。
そして、私はオリジンの現在を突き止めたあと、その方を推すことはありませんでした。私にとっては、彼女がVSingerのオリジンを降りたときに関係性が終わったのです。
私にとってバーチャル存在とは、永続しない『一個人』だと思っています。
オリジン存在の永続性
翻って、バーチャル存在が常に抱えるのが『オリジンは永続しない』ということです。一個人なのですから当然です。私たちのように成長し、老います。
そうなったとき、一見して永続的なバーチャル存在とのズレが生じると思っています。そのズレは年を経るごとに広がっていき、じきに致命的なものになるのではないでしょうか。
まだ花譜さんは4回の深化を残しています。
それによってどう展開するかはわかりませんが、永続しないオリジンへの向き合い方として、私は本現象に納得と理解をしました。
まとめ
既に花譜さんやPIEDPIPERさんがコメントを出されていますし、一個人の雑感は本来不要かもな、と思いつつ書かせていただきました。
考えをまとめたかったんですよね。
私は花譜さんにしても廻花さんにしても、引き続き応援していきます。
それぞれの観測者がそれぞれの納得の行き先を見つけられると良いな、という願いを締めに、この雑感を終えさせていただきます。
お読みいただき、ありがとうございました。